Exhibition review [ Memories in Movement] at placemak, Seoul, Korea, 2019
記憶の動勢
「動く記憶」展 10.12~10.30 Placemak-Yeonhui, Placemak-LASAR
時間の哲学者べルクソンの言葉を引用すると、記憶は2種類に分けられる。即自的に保存される過去としての「純粋記憶」と、または潜在的記憶と習慣や回想を通じて知覚される「習慣的記憶」である。純粋記憶は簡単に掴むことが出来ないが、日常の習慣的記憶を可能にさせている。
だが、これを一捻りして考えてみると、純粋記憶は習慣と回想を通して再構築された先の概念ではないかという疑問を持たずには居られない。このような解釈は原作者の意図とは関連がないが「動く記憶」という展示の題名を読み取るにおいて、いくつかの方向性を提供してくれる。「記憶は動く」という文章は、対象を記憶し解釈する内容と方向性によって記憶の性質が変わってくることを示す。さらに、記憶の観点と方法、時によっては記憶の装置によって記憶の性質もまた変わってくることを、この様に変わった記憶の姿の中で大元としての記憶対象の本質もまた変わり得ることを示唆する。
「Placemak-Yeonhui」と「Placemak-LASAR」の二箇所で行われた「動く記憶」は記憶の象徴を扱う作業を展示する。作業は表象のみならず、記憶の対象とそれに対する表象の間に在る相異なる距離が垣間見られる。
それは変化を続けてきた記憶の表象であり、厳密には変化そのものを刻印した表象に近い。一方で説話などを網羅する話として残り、数十年、数百年を経て伝承されるかと思えば、シャッター音が鳴る瞬間、コピーと出力の瞬間にあったりもする。これは形、トーンと動勢の異なるドローイング技法を繰り返したり(Miyuki Yamashita)、五感での体験を思い出しながら視覚的残像その向こうの温度や湿度、風の強さや周囲の音、空気の感触まで1つのキャンパスに収める、一種の感覚的翻訳を遂行する(Jiseon Kim)。これを総合的心情として記憶が一箇所に集めれらたものとするならば、Jeongsik Leeの作業は薬を飲む作家の空席を、違った好みと感覚的表現で呼び起こす。例えばHIV/AIDSの治療剤の服用可否について○/✕で示した記録装置は、展示場にない彼の空席に代わっている。服用する代わりに○/✕を発声する彼らの声が虚空に響く。虚空に散らばった記憶の動勢は、落下する額縁写真を通じて重力に反するHirofumi Isoyaの作業に共鳴する。記憶対象は既に墜落した物になり、今ここにはないがその表象は重力を拒否したイメージとして残っている。虚空に置かれた写真の中のイメージとして残された額縁は、永遠に墜落しながら記憶対象を全面的に歪める。
記憶が動くという文章は、記憶の対象と現在の時差のみならず、減価償却や変形などの物理的変化も含ませる。動く記憶のサンプルを集めたような停雲の作業は、核爆弾が投下された70年後、空に蒸発した都市が結晶化し、玉として発見されたという広島の地質学の報告書並びに、火山灰が積もった地層の空間に石膏を入れてポンペイの人々の最後の姿を確認することになったという話を紹介している。一方で、彼女が伝える話はスコットランドのナナカマドが厄を防ぎ、周辺に家を建てたり木を植えたという話の根に、魔女狩りの記録が呼び起こされる社会学的、民族的話に繋がるが、それは空いている記憶対象と表象の間で歴史になってしまった事柄の痕跡を示している。記憶は歴史として残ることもあるが、記憶を芸術面からのアプローチは説話などよりも親しみのあるものになる。
展示は記憶に関する相違なる時差と方法の工程を観察し、それによって創案される表象を網羅する。記憶の表象が相違なる脈絡と環境の中で変わった形で記録され、物理的に形質が変わる作用は、その中に実存するものの脆さを伝え、歴史の段落から連携可能性を導き出す。だが、これは展示が言葉にしない課題を召喚する。人によってそれぞれ違う記憶に対するアプローチが、デジタルアルゴリズムで平面化された記憶の体制を如何にして破くことができるのか。展示が明らかに表している事は純粋記憶に対する執着よりも、動く記憶の動勢とダイナミックさを捉え、時間性の実践を試みることである。※ナムウン美術批評
「動く記憶」展 10.12~10.30 Placemak-Yeonhui, Placemak-LASAR
時間の哲学者べルクソンの言葉を引用すると、記憶は2種類に分けられる。即自的に保存される過去としての「純粋記憶」と、または潜在的記憶と習慣や回想を通じて知覚される「習慣的記憶」である。純粋記憶は簡単に掴むことが出来ないが、日常の習慣的記憶を可能にさせている。
だが、これを一捻りして考えてみると、純粋記憶は習慣と回想を通して再構築された先の概念ではないかという疑問を持たずには居られない。このような解釈は原作者の意図とは関連がないが「動く記憶」という展示の題名を読み取るにおいて、いくつかの方向性を提供してくれる。「記憶は動く」という文章は、対象を記憶し解釈する内容と方向性によって記憶の性質が変わってくることを示す。さらに、記憶の観点と方法、時によっては記憶の装置によって記憶の性質もまた変わってくることを、この様に変わった記憶の姿の中で大元としての記憶対象の本質もまた変わり得ることを示唆する。
「Placemak-Yeonhui」と「Placemak-LASAR」の二箇所で行われた「動く記憶」は記憶の象徴を扱う作業を展示する。作業は表象のみならず、記憶の対象とそれに対する表象の間に在る相異なる距離が垣間見られる。
それは変化を続けてきた記憶の表象であり、厳密には変化そのものを刻印した表象に近い。一方で説話などを網羅する話として残り、数十年、数百年を経て伝承されるかと思えば、シャッター音が鳴る瞬間、コピーと出力の瞬間にあったりもする。これは形、トーンと動勢の異なるドローイング技法を繰り返したり(Miyuki Yamashita)、五感での体験を思い出しながら視覚的残像その向こうの温度や湿度、風の強さや周囲の音、空気の感触まで1つのキャンパスに収める、一種の感覚的翻訳を遂行する(Jiseon Kim)。これを総合的心情として記憶が一箇所に集めれらたものとするならば、Jeongsik Leeの作業は薬を飲む作家の空席を、違った好みと感覚的表現で呼び起こす。例えばHIV/AIDSの治療剤の服用可否について○/✕で示した記録装置は、展示場にない彼の空席に代わっている。服用する代わりに○/✕を発声する彼らの声が虚空に響く。虚空に散らばった記憶の動勢は、落下する額縁写真を通じて重力に反するHirofumi Isoyaの作業に共鳴する。記憶対象は既に墜落した物になり、今ここにはないがその表象は重力を拒否したイメージとして残っている。虚空に置かれた写真の中のイメージとして残された額縁は、永遠に墜落しながら記憶対象を全面的に歪める。
記憶が動くという文章は、記憶の対象と現在の時差のみならず、減価償却や変形などの物理的変化も含ませる。動く記憶のサンプルを集めたような停雲の作業は、核爆弾が投下された70年後、空に蒸発した都市が結晶化し、玉として発見されたという広島の地質学の報告書並びに、火山灰が積もった地層の空間に石膏を入れてポンペイの人々の最後の姿を確認することになったという話を紹介している。一方で、彼女が伝える話はスコットランドのナナカマドが厄を防ぎ、周辺に家を建てたり木を植えたという話の根に、魔女狩りの記録が呼び起こされる社会学的、民族的話に繋がるが、それは空いている記憶対象と表象の間で歴史になってしまった事柄の痕跡を示している。記憶は歴史として残ることもあるが、記憶を芸術面からのアプローチは説話などよりも親しみのあるものになる。
展示は記憶に関する相違なる時差と方法の工程を観察し、それによって創案される表象を網羅する。記憶の表象が相違なる脈絡と環境の中で変わった形で記録され、物理的に形質が変わる作用は、その中に実存するものの脆さを伝え、歴史の段落から連携可能性を導き出す。だが、これは展示が言葉にしない課題を召喚する。人によってそれぞれ違う記憶に対するアプローチが、デジタルアルゴリズムで平面化された記憶の体制を如何にして破くことができるのか。展示が明らかに表している事は純粋記憶に対する執着よりも、動く記憶の動勢とダイナミックさを捉え、時間性の実践を試みることである。※ナムウン美術批評
- Hirofumi Isoya <Lag> 2019
- Jiseon Kim <blue darkness series> 2019
- Woon Zung <Meting> 2019
News article for the exhibition at Yamakiwa Gallery, 2018
Yuzuko Iwata / review
Art critic
born in 1986
Graduated from Joshibi University of Art and Design in 2011
The "real" private lives of normal people are not normally shown in public. However the artist Natsumi Sakamoto, expresses them through within animations or on paintings. She tries to capture the vividness in the detail of an individual’s personal history which is rarely shown if ever as a history for public display.
The "Private" always hidden by "Public".
Generally speaking, the average person's history would not be displayed as much as a well-known person's history. Also, a hero's biography is mainly based on his or her social achievements rather than solely on their private histories, even when it has had an impact on shaping their character. Looking at her work, she seems to deal with the "Personal" stories of people, from the faceless masses to well-known people. This shows in her selection of the most suitable colour, for painting for each person in a detailed way.
Within her graduation work in 2009, ('I am a forest'), she created her "personal" world. Since then, she has traveled around the UK, Taiwan, and within Japan and touched their history ( "The Public" ) and so expanding her view point. In her conclusion, she reached into the "Private" histories of local people she met.
"FOLLOW TO YOUR DESTINATION"(2010). She worked in London while studying there and followed strangers on the street in a foreign country for her work (as the "Public" space) and observed their "Private"(Personal) destinations. After the continuous chasing of strangers backs, she had a solo exhibition, "unforgettable landscapes #1 (pigeon loft)" at Youkobo Art space in Tokyo 2012. She interviewed her friend, Mr.T, about his "Private" memory and painted the various images of pigeon lofts from his story, which she selected from different countries around the world.
In a residency program in Taiwan, she started to have conversations with people she had just met. She showed their faces, voices and movements in films as if she had drew them. After this process and her work in the UK as well as her solo exhibitions in her home country, she has finally reached the point where she can confront other peoples’ personal worlds. She also has bravery, which has come from depicting her own personal world in the work "I am a forest". In which only her body outline was drawn in the installation. She always tries to immerse herself within people's worlds, and collect their "Private" and real voices in order to merge them into her work.
In the end, her personal experience will be morphed into the viewers' own experiences. I feel tempted to follow her work - no matter what is on the screen or on the wall.
She is walking and feeling the wind - beyond freely the boundary of any country, culture and style.
Art critic
born in 1986
Graduated from Joshibi University of Art and Design in 2011
The "real" private lives of normal people are not normally shown in public. However the artist Natsumi Sakamoto, expresses them through within animations or on paintings. She tries to capture the vividness in the detail of an individual’s personal history which is rarely shown if ever as a history for public display.
The "Private" always hidden by "Public".
Generally speaking, the average person's history would not be displayed as much as a well-known person's history. Also, a hero's biography is mainly based on his or her social achievements rather than solely on their private histories, even when it has had an impact on shaping their character. Looking at her work, she seems to deal with the "Personal" stories of people, from the faceless masses to well-known people. This shows in her selection of the most suitable colour, for painting for each person in a detailed way.
Within her graduation work in 2009, ('I am a forest'), she created her "personal" world. Since then, she has traveled around the UK, Taiwan, and within Japan and touched their history ( "The Public" ) and so expanding her view point. In her conclusion, she reached into the "Private" histories of local people she met.
"FOLLOW TO YOUR DESTINATION"(2010). She worked in London while studying there and followed strangers on the street in a foreign country for her work (as the "Public" space) and observed their "Private"(Personal) destinations. After the continuous chasing of strangers backs, she had a solo exhibition, "unforgettable landscapes #1 (pigeon loft)" at Youkobo Art space in Tokyo 2012. She interviewed her friend, Mr.T, about his "Private" memory and painted the various images of pigeon lofts from his story, which she selected from different countries around the world.
In a residency program in Taiwan, she started to have conversations with people she had just met. She showed their faces, voices and movements in films as if she had drew them. After this process and her work in the UK as well as her solo exhibitions in her home country, she has finally reached the point where she can confront other peoples’ personal worlds. She also has bravery, which has come from depicting her own personal world in the work "I am a forest". In which only her body outline was drawn in the installation. She always tries to immerse herself within people's worlds, and collect their "Private" and real voices in order to merge them into her work.
In the end, her personal experience will be morphed into the viewers' own experiences. I feel tempted to follow her work - no matter what is on the screen or on the wall.
She is walking and feeling the wind - beyond freely the boundary of any country, culture and style.
岩田ゆず子/文
美術史研究者
1986年生まれ
2011年 女子美術大学大学院 美術研究科 芸術文化専攻美術史領域 終了
坂本 夏海は、普段は表出されない 人々の「生」の歴史を、ある時は映像に ある時はアニメーションに、またある時は 絵画に定着させている。
彼女は、“Public” な事実 では どうしても 紙 面 から 切り取られてしまう 「生々しさ」を 異なる視点で 捕えようとしているのだ。 伝記 や 年表に 取り上げられる 人物の業績(“Public”)*1 に埋もれがちな ”Private” は、人生を目の見えるかたちに 作成するにあたって “Public” に 追いやられがちである。 例えば 偉人の幼少期の小さなエピソードが 人格形成に影響を及ぼしていたとしても、それはなかなか 史料において仔細に 述べられることは少ない。 坂本は、どんな偉人も 名もなき人々ももつ ”Private” な 物語 を丁寧に その人に合った色の絵具のチューブを絞り出すようにして表現し続けている。
美術大学の卒業制作《わたしは森》(2009)で、ごく私的な”Private”の世界を創り上げた坂本は、イギリス、日本、台湾と自身の足で“Public”な歴史に触れ、歩き、視野を広げてい きながらそこで出会った人々の”Private”な世界へと着地している。
イギリス留学中に制作された《FOLLOW TO YOUR DESTINATION》(2010)では、坂本が異国の都市という “Public” な場所で見かけた 見知らぬ人を追いかけ ”Private” な目的地が何処かを探している。 背中を追いかけ続けた 彼女は、帰国後の個展「unforgettable landscapes #1(pigeon loft)」(遊工房、2012) で、”Private”な思い出を 友人 T から直接聴き出し、それを世界各国の「鳩小屋」イメージという多様な絵画にした。そして 台湾における レジデンスで ほぼ初対面の現地の人々と顔を合わせて時間をかけてた対話を行った。対話者の顔、声、動きを映し出し、映像作品へ描写した。
《わたしは森》で、坂本の輪郭のみ描かれた「私世界」からイギリスで見知らぬ人を追 いかける行為を経て、母国での個展で他者の「私世界」を聴き出す勇気を持ち、ついに台湾でのレジデンスで生の声を正面切って受け止めるまでに至っているのだ。
彼女は常にその人の世界に自身の足を運んで、”Private”な生の声を拾い上げて作品へと 昇華させていく。その表現は「個人」を超えて、観る人自身の経験へ置き換えられていく。 壁に掛けられ、映された作品を追いかけたくなる。
坂本 夏海は、作風という枠を超え、今日も風を切って歩いていく。 国境も文化も軽やかに飛び越えながら。
*1 ここで取り上げる“Public”とは、ジーニアス英和大辞典(大修館書店)で形容詞 として挙げられている「公衆の」「広く知れ渡った」を指す。
美術史研究者
1986年生まれ
2011年 女子美術大学大学院 美術研究科 芸術文化専攻美術史領域 終了
坂本 夏海は、普段は表出されない 人々の「生」の歴史を、ある時は映像に ある時はアニメーションに、またある時は 絵画に定着させている。
彼女は、“Public” な事実 では どうしても 紙 面 から 切り取られてしまう 「生々しさ」を 異なる視点で 捕えようとしているのだ。 伝記 や 年表に 取り上げられる 人物の業績(“Public”)*1 に埋もれがちな ”Private” は、人生を目の見えるかたちに 作成するにあたって “Public” に 追いやられがちである。 例えば 偉人の幼少期の小さなエピソードが 人格形成に影響を及ぼしていたとしても、それはなかなか 史料において仔細に 述べられることは少ない。 坂本は、どんな偉人も 名もなき人々ももつ ”Private” な 物語 を丁寧に その人に合った色の絵具のチューブを絞り出すようにして表現し続けている。
美術大学の卒業制作《わたしは森》(2009)で、ごく私的な”Private”の世界を創り上げた坂本は、イギリス、日本、台湾と自身の足で“Public”な歴史に触れ、歩き、視野を広げてい きながらそこで出会った人々の”Private”な世界へと着地している。
イギリス留学中に制作された《FOLLOW TO YOUR DESTINATION》(2010)では、坂本が異国の都市という “Public” な場所で見かけた 見知らぬ人を追いかけ ”Private” な目的地が何処かを探している。 背中を追いかけ続けた 彼女は、帰国後の個展「unforgettable landscapes #1(pigeon loft)」(遊工房、2012) で、”Private”な思い出を 友人 T から直接聴き出し、それを世界各国の「鳩小屋」イメージという多様な絵画にした。そして 台湾における レジデンスで ほぼ初対面の現地の人々と顔を合わせて時間をかけてた対話を行った。対話者の顔、声、動きを映し出し、映像作品へ描写した。
《わたしは森》で、坂本の輪郭のみ描かれた「私世界」からイギリスで見知らぬ人を追 いかける行為を経て、母国での個展で他者の「私世界」を聴き出す勇気を持ち、ついに台湾でのレジデンスで生の声を正面切って受け止めるまでに至っているのだ。
彼女は常にその人の世界に自身の足を運んで、”Private”な生の声を拾い上げて作品へと 昇華させていく。その表現は「個人」を超えて、観る人自身の経験へ置き換えられていく。 壁に掛けられ、映された作品を追いかけたくなる。
坂本 夏海は、作風という枠を超え、今日も風を切って歩いていく。 国境も文化も軽やかに飛び越えながら。
*1 ここで取り上げる“Public”とは、ジーニアス英和大辞典(大修館書店)で形容詞 として挙げられている「公衆の」「広く知れ渡った」を指す。